なぜか心を込めて書いたはずの文章が、誰にも響かない。自信を持って発信したメッセージが、空滑りする。大切な人に、本当に伝えたい想いが届かない。
そんな経験をし、無力感を覚えたことがある方も多いのではないでしょうか。
多くの人が、言葉の力を信じながらも、思い通りにいきません。その解決策を求めるかのように「話し方・書き方テクニック」などの即席的な書籍や教材が売れています。
しかし、そうした「表面的」な言葉の使い方を求めても、おそらく根本的な解決にはなりません。なぜなら言葉を生み出す以前の、私たちの「思考のプロセス」に原因が潜んでいるからです。
どうすれば、私たちが日々発する言葉に「生命力」を宿し、「受け取り手」の心に響くようになるのだろうか。
歌人・俵万智(たわら・まち)さんは、この問いを、著書『生きる言葉』の中で探究しています。
「言葉が生きる力とも言える時代に、どんなトレーニングが有効だろうか。自分の発した言葉が、真に「生きる言葉」となるために大切なことは何だろうか。あるいは生きた言葉とは、どんな表情をしているのだろうか」
『生きる言葉』 (俵万智 著)
この記事では、俵さんのこの「問い」を道しるべとしながら、ありふれた言葉に「命」を吹き込み、読者の心を動かすための「答え」を探求していきたいと思います。
- 俵万智氏が説く「生きる言葉」の本当の意味
- 言葉に「命」を吹き込むための3つの具体的な方法
- 分野を超えてプロが実践する、共通の思考プロセス
- AI時代に、人間の書き手として提供すべき本当の価値
「生きる言葉」とは何か? |本書が示す4つの本質
本書のタイトルにもなっている『生きる言葉』。それは何を指すのでしょうか。読み進めていくと、それは決して「上手な言葉」や「美しい表現」ではないことが分かります。
俵万智さんの言う『生きる言葉』とは、以下の4つの本質を兼ね備えた、ダイナミックな力を持つ言葉のことです。
- 機能する言葉: 相手の背景を知らない現代のコミュニケーションにおいて、誤解や断絶を防ぎ、的確に意図を伝え、問題を解決する力を持つ言葉。
- 体験から生まれる言葉: 机上の空論ではなく、書き手自身の五感や感情、そして「生身の体験」から生まれた、血の通った言葉。
- 他者と繋がる言葉: 自分の言いたいことだけを言うのではなく、相手の状況や感情を深く「想像」し、寄り添い、真の共感を育む言葉。
- 作り手自身を映す言葉: 書き手自身が言葉を愛し、愉しみ、そのプロセス自体に喜びを見出すことで、自然と生命力が宿る言葉。
「面白い」「かっこいい」といった表面的な言葉ではなく、ターゲットの心を動かし、目的を果たせる言葉こそが「生きる言葉」です。
まさに目的と、相手への思いやりと、その言葉が置かれる場面、その全ての重なりのなかで生まれる『ダイナミックな生命体』なのです。
別の言い方をすれば、言葉には固定の意味はなく、文脈によって変わります。だから、誰かが言った言葉をそのまま真似してみても、どこか空虚だったり、借り物のようだったりするのです。
では、どうすればそんな「生きる言葉」を自分の内側で育てることができるのでしょうか。本書は、そのための具体的な土壌として、3つの重要なヒントを示してくれています。
俵さんが「実体験」でみつけた「生きる言葉」を育む3つの土壌
「オレが今マリオなんだよ!」五感をフル活用した「生身の体験」
「生きる言葉」は、無菌室では育たない。俵さんは、そのことを子育てという最もリアルな「現場」で目の当たりにします。
息子さんがゲームに夢中だった頃、田原さんは沖縄・石垣島の自然豊かな環境へ引っ越します。そこでは、ゲーム機がなくとも、海で魚を突き、ヤドカリを捕まえ、サトウキビをかじる毎日。
気づけば息子さんはゲームをしなくなっていました。「そういえば最近、全然ゲームしないね」と尋ねると、こう答えたと言います。
「だってお母さん、オレが今マリオなんだよ!」
『生きる言葉』 (俵万智 著)
この一言は、ゲームの世界以上の体験を、「現実の体験」が超えた瞬間を象徴しています。
自分の体で風を感じ、土に触れ、フィールドを駆け回る。まさにいま自分が生きる世界そのものがステージなのです。
五感をフル活用した体験こそが、誰の真似でもない、自分だけの「生きる言葉」を生み出す。俵さんは子育てを通じてそのような気づきを得たのだと思います。
「この二人には、圧倒的に言葉が足りなかった」他者の心に寄り添う「想像力」
本書で最も繰り返し強調されるのが、「想像力」の重要性です。
全寮制中学に入ったばかりの息子さんが、同室のルームメイトと目覚まし時計を巡って大きなトラブルを起こしたエピソードがあります。お互いに不満を溜め込み、爆発してしまった二人。その原因を、俵さんはこう看破します。
「つまり、この二人には、圧倒的に言葉が足りなかった」
『生きる言葉』 (俵万智 著)
それは、単に会話の量が少なかったということではありません。相手がなぜそういう行動を取るのか、自分の行動が相手にどういう影響を与えるのか、その背景を思いやる「想像力」不足していたのです。
(限界まで自分が我慢してしまう。そんな当時の息子さんに思わず共感してしまうエピソードでした。)
特に、SNSのように相手の顔が見えないコミュニケーションが増えている現代において、この想像力は、誤解から生まれる争いを避け、共感と思いやりにもとづくポジティブな人間関係を築くための土台となります。自分の言葉が、見えない誰かにどう伝わるのか。その想像力こそが、「言葉」を命を吹き込むのです。
「まず自分が愉(たの)しみ、言葉と仲良くなることが大事だから」言葉そのものを愛でる心
最後のエッセンスは、言葉との「向き合い方」そのものです。俵さんは、このように書いています。
「言葉を生かすためには、まず自分が愉しみ、言葉と仲良くなることが大事だから」
『生きる言葉』 (俵万智 著)
ラッパーとの対談で韻の面白さに心躍らせたり、息子さんとの言葉遊びに夢中になったり。俵さんは、言葉を単なる「伝達の道具」としてではなく、それ自体が持つ響きやリズム、面白さを愉しんでいます。
この「愉しむ」という姿勢は、言葉への探求心を深め、表現の幅を広げ、そして何より、書き手自身の言葉に「生命力」を吹き込みます。読者は、書き手のそのポジティブなエネルギーを、言葉を通して無意識に感じ取るのです。
俵万智の『想像力』と、中村禎の『思考法』。分野を超えてプロがたどり着く共通点
先ほども少し触れましたが、俵さんが説く「想像力」の重要性は、実は異なる『言葉のプロフェッショナル』の教えと、驚くほど共通しています。
日本屈指のコピーライター・中村禎さんは、その著書『最も伝わる言葉を選び抜く コピーライターの思考法』の中で、「コピーライターに必要なのは文章力ではなく、どれだけ相手のことを思い至れるかという『想像力』である」と断言しています。
たとえば中村さんは、自身が担当する『宣伝会議 コピーライター養成学校』の講義で、土地勘のない駅で降りた人に目的地までの道を「文章だけ」で案内させるという課題を出すそうです。
この課題で問われることは「いかに読み手の立場にたって書けるか」です。はじめての場所で不安。どの改札から出たらいいかわからない。人がどんどん歩いてくる。立ち止まって地図を見る余裕もない。そんな状況を想像しながら「読み手の立場・目線」で、わかりやすく伝えられるか。そんな想像力こそが、コピーライターに求められると言います。
まさに俵さんの言う「相手になりきる想像力」そのものです。相手がどこで不安になり、どんな情報を欲しがるかをリアルに想像できなければ、その文章は単なる自己満足の道案内にしかなりません。
歌人・俵万智さんと、コピーライター・中村禎さん。一見、その仕事内容は違うように見えます。しかし、人の心を動かす「生きる言葉」を追求した結果、両者がたどり着いたのは「徹底した他者理解と、それを可能にする想像力」という、同じ本質だったのです。
どんな分野であれ、本当に伝わる言葉を生み出す源泉は、テクニック以前の、人間への深い洞察力と共感力にある。私は本書を読んでそう感じました。
参考:『最も伝わる言葉を選び抜く コピーライターの思考法(中村禎 著)』要約とレビュー|AI時代に必要とされる文章の書き方 >
プロフェッショナルとは何か?俵万智の「一首の短歌」に学ぶ、言葉を極める人の条件
言葉を「楽しむ」という姿勢は、単なる趣味の領域に留まるのでしょうか。いいえ、それこそがプロフェッショナルへの道に繋がっていると、俵さんは一首の短歌で示唆しています。
むっちゃ夢中とことん得意どこまでも努力できればプロフェッショナル
『生きる言葉』 (俵万智 著)
この歌は「プロフェッショナルとは何か?」という問いに対する、俵さんの答えです。ここに、言葉を極める「3つの条件」が示されています。
- むっちゃ夢中
- とことん得意
- どこまでも努力
「愉しい」からこそ「夢中」になれる。「夢中」だからこそ「努力」を続けられる。そして、その努力が「得意」な分野で発揮された時、人はプロフェッショナルになれる。 この歌は、言葉の探求者にとって、テクニック論を超えた「在り方」の指針を提示してくれているようでした。
まとめ:言葉に「命」を吹き込むために、明日からできること
本書『生きる言葉』が教えてくれるのは、ありふれた言葉に「命」を吹き込むための、本質的な思考法です。「キザな言葉」「美しい表現」などではなく、日常にありふれた言葉にこそ人の心を動かす力がある。
ましてや、特別な才能を必要とするものではありません。
その核心は、「世界と他者への好奇心」と、それを言葉にしようとする「姿勢」にあります。
もし、自分の言葉が力を失っていると感じるなら、新しいテクニックを学ぶ前に、まず、俵さんが提示する
- 生きる言葉の「4つの本質」
- 生きる言葉を育むための「3つの土壌」
これらを見つめ直してみてください。
今日、あなたが話す相手のことを、徹底的に想像してみる。 目の前にある一つの物事を、五感をフルに使って味わい、言葉にしてみる。 普段使っている言葉の響きやリズムを、改めて愉しんでみる。
その小さな探求の積み重ねの先にこそ、あなたの言葉が本来持つ「生きる力」を取り戻す道が、きっと開けているはずです。
Q&A
単に美しい表現ではなく、①現実世界でしっかりと機能し、②書き手の生身の体験から生まれ、③相手への深い想像力で繋がり、④作り手自身が愉しむことで生命力が宿る、という4つの本質を持つ言葉のことです。
はい、役立ちます。本書が説く「相手への想像力」、「体験の大切さ」、「言葉に向き合う姿勢」は、コピーライティングやコンテンツライティングの成果を左右する最も重要な土台だからです。本書は、その土台を鍛えるための本質的な思考法を教えてくれます。
相手がなぜそういう行動を取るのか、自分の行動が相手にどういう影響を与えるのか、その背景を思いやること。日頃からのそうした小さな積み重ねこそが、想像力を育んでいきます。
むしろ、AI時代にこそ本書の思考法が最強の武器になります。「生きる言葉」とは、メッセージを「届ける側」「受け取る側」「場面」これらの条件が重なった瞬間に生まれる「ダイナミックな生命体」です。言葉を使う人自身の体験や情熱から生まれる表現はAIには代替できません。「心に届き、響く」そんな言葉を生み出す思考法として、この本は示唆に富んでいます。
はい、全く問題ありません。本書は短歌の専門書ではなく、子育て、SNS、演劇など、私たちの身近な「現場」を題材に、普遍的な言葉の力について探求するエッセイです。どなたでもご自身の経験と重ね合わせながら、深く楽しめる内容になっています。